「べき・ねば」は誰の基準?
子どもを大切に思うあまり、
「こうするべき」
「こうしなきゃ」
そんな思いから、言葉をかけてしまうことがあります。
もちろん、伝え方にもよるのだと思います。
でも本人にとっては、
やりたいことを止められたり、
やらされているように感じたり。
楽しいどころか、ストレスになってしまうこともあるのかもしれません。
本当は、笑顔でいてほしい。
それが一番の願いなのに、
無意識に「べき・ねば」が働いて、結果、その笑顔を自分で奪ってしまっているような気持ちになることがあります。
そして気づく。
「べき・ねば」……
ちょっとまてまて…….
子どもの気持ちより、
こっちを優先しちゃってるじゃないか〜!
もちろん、「どんどん楽しめ〜!」という時間もあります。
でも、日常生活のなかで、この「べき・ねば」が顔を出すことがあります。
ふと、以前聞いて心に残っていた言葉を思い出しました。
「子どもが親を成長させてくれるのは、10歳くらいまで」
その言葉を聞いたとき、胸がぎゅっとなったのを覚えています。
わぁ、そうなんだ。
10歳……
え〜!!きっとすぐだ。
今は「ママ、ママ!」「見て!」「聞いて!」と、こちらに向かってきてくれます。
でも、そのうち子どもたちの世界の中心は、友達や学校、外の世界へとどんどん広がっていく。
そう考えると、本当にあっという間なんだろうな。
なんだか寂しいなぁ。。。
私自身も、学生時代は親より友達と過ごす時間のほうがずっと多かった。
振り返ってみると、確かにそうだ。
だからこそ、
今のこの時間は、思っている以上に貴重なんだ。
と改めて思いました。
そんなことを考えていたら、ふと自分に問いかけたくなりました。
『べき・ねば』は、いったい誰の基準?
「大きくなって困らないように」
「社会で生きていけるように」
そう考える背景には、人との関わりや、周りからどう見られるかという意識があるのかもしれません。
他人の目や評価を気にして、私が勝手に思い描いた「他人の基準」。
知らず知らずのうちに、自分の基準ではなく、他人の基準で考えていたことに気づきました。
それはただ、私がそう思っていただけ。
子どもたちは、今を生きている。
見たいもの、触れたいもの、感じたいこと、やりたいことがたくさんある。
私もそうだったように、
困ったことも、
失敗したことも、
その経験があったからこそ学べたことがたくさんあります。
自分で選び、経験したからこそ次にどうするかを考えられる。
きっと子どもたちにも、自分で経験して初めて分かることが、たくさんある。
だから、手を差し伸べたくなるけれど、
口を出してしまいたくなるけど…….!
そこをぐっと我慢してみる。
それが
「見守る」
ということなんだなと、改めて噛みしめています。
子どもは、自分で選び、自分で経験しながら成長していく。
そして、その姿を見守りながら、
私も一緒に成長していく。
「相手は鏡」
私の願いは、子どもたちが笑顔で元気でいること。
ならば、まずは自分が楽しむこと!
私が楽しんでいれば、その空気がきっと子どもたちにも伝わり、笑顔が増えていくのでは✨
そして、自分の気持ちが前向きになると、きっと声かけも変わってくる。
行動を制限するのではなく、子ども自身がやりたい方向へ進めるように。
その意欲を大切にした声かけができたらいいなと思います。
この文章を書きながら、モヤモヤが前向きな気持ちに変わりました。
きっと、今日も素敵な一日になる✨


「きっと、今日も素敵な一日になる✨」
お母さんが前向きで元気なら大丈夫😊